札幌から気仙沼に移住した女性 アートでまちに活気を
宮城県気仙沼市。
札幌出身の足立岬さんは、この街に住んでもうすぐ2年。
先月、長女の「郷」ちゃんが生まれました。
(足立岬さん)
「こんにちは。生まれました」
(亀屋・渡邊栄さん)
「はい、どれどれ、かわいいね」
ここは、海岸から歩いて10分ほどの八日町商店街。
かつては気仙沼の中心地として栄えていました。
しかし、2011年3月11日。
(亀屋・渡邊栄さん)
「水がずっと行って、商品が全部むこうの方に行ってしまった」
商店街は津波に襲われました。
しかしその後、区画整理の対象から外れたため、今も古い建物が残っています。
(札幌から移住した足立岬さん)
「(八日町は)ある程度浸水はしましたけど、みなさん、自分たちの力で、なんとか立て直すまちづくりをしてきた」
足立さんは、札幌の大学でバイオリンを学んだあと、別の大学でデザインを専攻。
アートを通したまちづくりに関心を持ち、偶然見つけたのが、札幌から750キロ離れた気仙沼市の地域おこし協力隊の求人でした。
(東京から移住した吉川晃司さん)
「震災もあって『余白』が空いたというか、そこにいろんな人が入って、活動できる余地がある」
足立さんと一緒に活動をする吉川さんも、気仙沼に来たのは偶然。
何かこのまちに、アートによって新しいものを生み出せないか。
足立さんたちは毎年、外部からアーティストを呼び、商店街の人と協力して、作品を作っています。
2年前は、防潮堤の大きさをモチーフに。商店街の人たちには、巨人になりきり、撮影に参加してもらいました。
去年は、防災無線をテーマにした作品を作りました。
(札幌から移住した足立岬さん)
「外から入ってきた人と地元に住んでいる人が協働して、お互い新しい視点をもったりとか、自分の街の面白い見え方を共有できたりとか」
(佐藤祐美さん )
「(ミルクは)きょういつ飲んだ?」
パートナーとは離れて暮らしている足立さん。託児所で働く友人の力も借りています。
(徳島から移住した佐藤祐美さん)
「(震災から)11年を迎えて、今度はどう住み続けるか、住みやすさとかそういう側面になってきているので」
震災から11年となる今、さまざまな目的をもった若者が、気仙沼に集まっています。
(足立岬さん)
「友達の家で、タイルのかけらがたくさん出てきて」
この美術館には、震災直後から集められてきた資料が展示されています。
壊れた扉や電柱、ぬいぐるみ。
ここでは、被災した物をがれきやごみではなく、「被災物」と呼んでいます。
「また…息子にも…ミニカー買ってやりたいねぇ…」
「祖母がお祝いに買ってくれました。フタを開けてみたら、中にヘドロがたまっていました。涙が止まりませんでした」
「被災物」には、学芸員が聞き取ったエピソードが添えられています。
(札幌から移住した足立岬さん)
「しばらくこっちで生活するにつれて、土地勘がついてきて、情報量も変わって来るし、こっちの受け止める気持ちも変化がある」
アートなどを通し、人と人をつなぐまちづくりに携わってきた足立さんが感じる「被災地」気仙沼の今とは…。
宮城県気仙沼市に移住して2年近くになる、札幌出身の足立岬さん。
(足立岬さん)「これは?」 (高校生)「大谷の海です。コラージュしてます」
この場所で街で活躍したい人を支援し、交流できる機会をつくるのも足立さんの仕事です。
(足立岬さん)
「いやあ、いいですね。人がたくさんいて、にぎわっていて、いろんな年代の人がいるじゃないですか。すごく楽しいですよね」
しかし、気仙沼では復興住宅での新しい人間関係になじめないという声が聞こえてくるといいます。
(足立岬さん)
「簡単に物を作ったり、土を盛ったりするよりも、人間関係とか人のつながりを作ることの方が数倍難しい。いろんな大きい出来事があって培われた濃い人間関係で育まれたあなたよってことは(娘に伝えたい)」
足立さんは、今後も復興が進みつつある気仙沼で、アートなどを通し、これからも人と人をつないでいきます。
(足立岬さん)
「街並みはすごくきれいに整ってきているけど、実際、地域に住む人がどう生活を営むかは、まだまだこれから。そういったところから私は関わりたい」
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