北のビジネス最前線 特別編「岩見沢から世界へ・・WITHコロナのスマート農業」北海道大学 野口伸教授 × 作家 池井戸潤氏 特別対談

左:堰八紗也佳  中:池井戸潤氏  右:野口伸北大教授

ゴルフ雑誌「ワッグル」の好評連載企画「池井戸潤のゴルフ旅」で、夏の北海道を訪ねた作家の池井戸潤さん。ゴルフを楽しむのとは別に北海道に来たのはもう一つの目的がありました。それは池井戸さんの小説「下町ロケット ヤタガラス」(小学館刊)に登場する大学教授のモデル、北海道大学の野口伸教授に再会し、最新の研究成果を取材することです。
野口教授はスマート農業の世界的権威。今回は池井戸潤さんが野口教授とスマート農業の先進地、岩見沢で対談。お二人の出会いからスマート農業の現在、そして将来まで縦横無尽に語ります。(聞き手:HBCアナウンサー 堰八紗也佳)

―お二人を繋ぐものと言いますと、「下町ロケット ヤタガラス」になると思いますが、出会ったきっかけを教えていただけますか

池井戸ある自動車メーカーの取材で北海道に来まして、野口先生にお会いしました。それまでロボット農業に関しては寡聞にして知らなくて、お話を聞いているうちに、「これは『下町ロケット』のネタになるかもしれない」と思ったんです。その場で野口先生に、「『下町ロケット』のネタになりそうな気がするので、あらためてお話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」と伺ったら、「いいですよ」とお返事をいただいて。それから2年くらい経過してようやく執筆できる期間になったので、改めてお会いしてお話を伺いました。

―野口先生は、まさか自分が小説のモデルになるとは考えていらっしゃらなかったのではないでしょうか

野口それはもう、全く考えていませんでした。お会いした日は雨でトラクターの実演ができなくて、実験室の中で説明をしました。そのあと関係者の方からのメールで、「『下町ロケット』の題材になるかもしれませんよ」という連絡を頂いたのですが、全く期待はしていませんでした。そこから2年経って、先生が執筆を始められたことを知り、「これは本当に作品になるんだな」と思って大変驚きました。お陰で岩見沢もこれだけ注目されるようになりましたし、池井戸さんに扱っていただいたお陰だと思っています。感謝しています。

―久しぶりに再会を果たしたわけですが、まるで旧友にあったような打ち解け具合でお話が弾んでいましたね。今回、ICT技術を使ったスマート農業をされている岩見沢の農家の方々と再会して話をされましたが、どのように感じられましたか

池井戸前回お会いした時も、志の高い農家の方をお招きいただきお話を聞くことができましたが、今回も耕作面積が約45~55ヘクタール程の大規模経営をされている「スーパー農家」の方々に出会えて、非常に良いお話が聞けました。本気で農業をやるということの凄味を改めて感じました。

―農家の皆さんも「2、3年後にはこういう感じになっているかもね」というお話もされていましたね

池井戸今回見せていただいた農業機械は前回と比べて非常に進歩していましたが、進歩していないのはむしろ法律なのではないかと感じました。技術面はNTTさんが真剣に取り組まれ、どんどん進化しているのに、法律が未整備のために、社会実装ができない状況になっていると思いました。まずは法律面から制度を変えていく努力が必要だと思います。

―スマート農業の技術は、ここ岩見沢で着実に進歩していますよね

野口お陰さまで岩見沢は、全国でも非常に進んだスマート農業の地域になっています。農家の方々が技術に対して関心が高く、導入しようという志がある方が多いからです。池井戸さんの作品では『北見沢市』という地名でしたが、市長はじめ地元の皆さんも岩見沢が作品のモデルになっているという事を誇りに思っているわけです。それが、「スマート農業で我々が日本を、世界を先導していくんだ」という気概に繋がっていると思います。

―先ほど池井戸さんはじっくりと無人トラクターを見つめていらっしゃいましたが、いかがでしたか

池井戸本当に進歩していると思います。5Gは通信が途切れないですよね。5G時代は技術に加え、法律面でのバックアップが肝になると思います。

―池井戸さんから5Gという言葉が出てきましたが、5Gのメリットとはなんでしょうか

野口5Gの特徴の一つは、電波の遅延が非常に少ないんです。万が一、人が飛び出してきた時に、すぐに止めたいと思っても、例えば指示を出してから遅延が1秒や2秒あったら(トラクターが)人をひいてしまうことになります。ですから、「無人機械の安全性を確保する」という上で(5Gは)非常に重要なインフラだという認識をしています。また二つ目は多数同時接続です。今は無人トラクターが4台動いてますが、それはうちがたまたま4台しか保有していないからで、10台でも20台でも増やせるわけです。したがって、一人の方が管制室で10台、100台といった複数のロボット農機を監視して作業させることができる。ロボット農機は24時間働くことができますから、そういう点でも新しい形の農業が生まれると思います。5Gの特徴を農業現場で使うことによって、農作業に非常に大きな変化が生まれる可能性があります。それを岩見沢市・NTT・北海道大学が連携して研究しています。

―複数のトラクターを一気に動かすというのは、まさに「下町ロケット ヤタガラス」の世界が現実になっているという感じがしますよね

野口まさにそうですね。ドラマの最後、コンバインが早く稲を刈り取らないと間に合わないという時に、複数のロボット農機を動かすという場面がありました。今回お見せしたのはコンバインではないですけれど、トラクターがそれを実現しています。ですから、池井戸さんの描いていたものが着実に、ゆっくりと現実なものになりつつあると言えます。実はコンバインはもっと難しいのですが、でもそういう方向に進んでいますね。

―コンバインはトラクターと比べ実用化は難しいのですか

野口一番はまず「安全性の確保」です。というのは、作物があって、その作物の間に子供などが隠れているのを見つけるのは非常に難しいです。トラクターであれば、作物から動物や子供が飛び出してもすぐに認識ができます。ところが、収穫時に子どもが小麦や稲の間に万が一隠れていたとすると、今の科学技術では確実にそれを見つけることは難しいです。そういう中で、法規制やルールがまだできていないため、万が一事故が発生した際に、使用者が責任を取るのか、製造者が責任を取るのか、この辺りが整備されなければなかなか実用化はできないと思います。

―実際に無人トラクターは商品化されているのですか

野口「下町ロケット ヤタガラス」が誕生するのと同じくらいに、農機メーカー各社から続々と商品化されています。ただ、人間が目で見て、そばにいて監視をするという目視が原則というのが今の実用機です。今回、見ていただいた遠隔で離れたところから監視して作業させるというのはまだ商品化されていません。これは現在、我々で開発中です。

―今年は新型コロナウイルスの影響で収束が見えない状況ですが、ICT技術を使ったスマート農業というのはそういったところでも生きてくるでしょうか

野口新型コロナウイルスの感染拡大がスマート農業の必要性を社会に広げています。コロナ禍によって農業の人手不足の現場はますます深刻になっています。今まで外国人研修生の方々を労働力として、特に収穫作業の時に期待して頼っていたわけです。ところが今は外国人が日本に入って来られないという問題があります。そしてもう一つは食料自給率の問題です。海外の食料生産国から輸入できなくなっている。自国を優先するのは当然のことですが、そのために食料生産国が海外に輸出しなくなると、日本のように輸入に頼っている国に食料が入って来なくなってしまいます。当然、人類の生存の基盤の食料は必要ですが、それが入って来ないという事になると、自国で生産していく体制を作る必要があります。そうなるとスマート農業のような技術に頼らざるを得なくなります。経験と勘の農業からデータに頼るような農業に転換していく。そしてもう一つは、人間の代わりに作業してくれる自動化されたロボット技術です。コロナ禍によってスマート農業の必要性はさらに強調されているという気がしています。

―このような状況になるとは誰もが思っていなかった事ですけれど、よりスマート農業の必要性が見えてきたことになりますよね。池井戸さんは今のお話を聞いていかがでしたか

池井戸岩見沢の農家の方は野口先生と直接やりとりができるということですごく意識が高いのですが、全国規模で見れば、スマート農業を導入したくても中々トライができないという現実があると思います。70歳前後で、息子たちは都会に行き、自分たちは田舎で小さな田畑を持っていて、毎年「今年でやめようかな」と言いつつ、それでもお米を作っている農家の方が結構います。そういう人たちにまでスマート農業が浸透していくのは、今の状況だと相当先になるでしょう。ですから、農家一人当たりの作付面積を大きくする、また、農業法人を活性化して規模拡大を進めることをしないと、スマート農業技術は中々浸透せず、宝の持ち腐れになってしまいます。

野口池井戸さんのおっしゃる通りです。今のスマート農業というのは大規模で、若くてやる気のある、家族経営でありながら何十ヘクタールという土地で農業をしていらっしゃる農家さん、こういう方には効果はすぐに出ます。一番大切なのはそういった技術を、本当に困っている高齢化が進んで担い手がいない農業地域で使ってもらうように進化させるという事です。もう一方で池井戸さんがおっしゃられたように、農業の形態をこれからどのように作っていくべきか。小規模な農家の方々が、生産の担い手をずっとされるということはなかなか難しいと思いますし、スマート農業技術を導入するにはコストがかかる。まさに「技術の進化」と「社会システム」というのが車の両輪で、社会システムがついていかない為に技術が役に立たないものになってしまう恐れがあります。ですから両輪がうまく回っていくことによって、農業が発展していくことに繋がっていくと思います。ただ、大切な事はどちらかが引っ張っていかなければならないという事です。技術が引っ張った上で社会システムがそれに追いついてくるというようになるために、一般の人に農業、並びにスマート農業の重要性を知ってもらいたいです。そういった意味でも池井戸さんの功績は非常に大きいと思います。

―これから日本での20年先の農業はどのように進化していると思われますか

野口20年先というと2040年位になりますが、これからどんどん農家戸数は減っていっています。また高齢化も確実に進んでいるでしょう。少ない人数で農業生産や畑を管理をしていかないといけない。手前味噌で恐縮ですが、スマート農業技術というものがますます必要になってくると思います。今のロボット農機は何も考えずにただ作業するだけですが、「下町ロケット ヤタガラス」にも書かれているような、センサーなどが付いたロボット農機が、肥料や農薬の量を自動で調整できる、スマートなロボットになると思っています。実際に、我々が今、NTTと進めているのもまさにそこなのです。ですから、ロボットが賢くなって、これまで以上に人の代わりができるようになっていけば良いですね。ただ最終的には人です。人が基本ですけれども、その人に頼る部分がものすごく減っていくのではないかと思います。

―池井戸さんもメモを取られながら熱心に聞いていらっしゃいましたが

野口池井戸さんはすごいですから。小説で書いたことがそのあとに実現していっていますからね。

池井戸もしかしたら「ヤタガラス」の続編を書くかもしれないですからね(笑)。その時に思い出せるようにメモをしておかないと。

―改めて野口先生、本日池井戸さんとお会いしていかがでしたか

野口この題材を使っていただいて、本当に感謝の言葉しかありません。農業という分野は、小さいビジネス、マーケットなんです。日本の農業産出額は約9兆円しかありません。トヨタ自動車は一社で30兆円近くあります。そして、農業を主な仕事にしている人は200万人くらいで、日本の人口の2%もいない。要するにそのくらいの規模の産業を、小説で扱っていただいて、その社会課題を取り上げてくれた。有名な作家の方に書いていただいたというのは、本当にすごく大きなインパクトだったと思います。今の状況を農業関係者以外の方に知って欲しかったんです。大切な事は、一般の人に日本農業に対して関心を持っていただくということです。それは日本の農業関係者、官民も含めて非常に大切なことだと思いますね。ですから、今のスマート農業はまだまだ課題もありますけれど着実に進んできている訳です。小説とドラマのお陰ですね。ですから、感謝しております。

―最後に池井戸さん、いかがでしたか

池井戸農業の可能性はまだまだあると感じました。やはり野口先生がやっていらっしゃることは「IT」なんです。先ほど、日本の農業人口は200万人程の小さな規模であるとおっしゃっていましたが、先生がやっていらっしゃる事は恐らく世界最先端の技術でしょう。農業は日本以外にもあり、海外まで視野を広げればものすごいビジネスだと私は思っています。トヨタ自動車の売り上げは海外のものも含まれているので、海外まで含めた農業の規模を考えると大変大きなビジネスチャンスなんです。今の農業関係者だけではなく、ITの経営者が自らの分野の一つとしてスマート農業技術をコアにして、全世界で展開することを考えてくれれば、トヨタ自動車並みのものになると思います。そこに気づくどうかなんです。ということを今回の対談で感じました。野口先生、ありがとうございました。

プロフィール

野口伸(北海道大学大学院農学研究院教授)

1961年 山口県生まれ
北海道大学大学院農学研究科博士課程修了。
現在、北海道大学大学院農学研究院教授。ロボットトラクター研究の世界的権威。
2018年放送のドラマ「下町ロケット」で登場したトラクター研究者のモデル

池井戸潤(作家)

1963年 岐阜県生まれ
慶応義塾大学卒業。
2011年に「下町ロケット」で直木賞受賞。主な作品に、「半沢直樹」、「下町ロケット」、「花咲舞」シリーズや、「空飛ぶタイヤ」、「七つの会議」、「陸王」、「ノーサイド・ゲーム」など。最新刊「半沢直樹 アルルカンと道化師」は9月17日発売予定