沖縄戦慰霊碑の“南北之塔”建立に携わった元アイヌ兵 亀裂から友好へ…距離と世代を超えてつなぐ人たち
2025年02月26日(水) 17時45分 更新
日米合わせて20万人の死者を出した沖縄戦。
国内最大の地上戦が繰り広げられたその地に、アイヌの言葉が刻まれた慰霊碑がたっています。
ともに沖縄戦を戦った、アイヌと地元住民の絆に迫ります。
沖縄戦の激戦地となった糸満市真栄平(いとまんし・まえひら)。
木漏れ日が差し込む集落の高台に「南北之塔」と刻まれた慰霊碑がひっそりと佇んでいます。
「キムンウタリ」。アイヌ語で「山の友」を意味しています。
終戦が近づく1945年。
アメリカ軍の空襲や射撃で戦火に散った北海道出身者は、沖縄県に次いで2番目に多い1万人余りでした。
慰霊碑の建立に携わったのが、北海道東部の弟子屈町出身の元アイヌ兵・弟子豊治(てし・とよじ)さん。
真栄平の地で、すぐに地元住民と打ち解けました。
戦火をくぐり抜けた弟子(てし)さんは、戦後も真栄平との交流を続けました。
元アイヌ兵 弟子豊治(てし・とよじ)さん
「沖縄に行ってくるよ、もう1回。線香あげて、お参りしてくる」
弟子さんが生前、兄弟のように仲良くしていたのが、
戦時中に真栄平で知り合った仲吉喜行(なかよし・きこう)さんです。
真栄平出身 仲吉喜行(なかよし・きこう)さん
「弟子さんが最初に来たときはここに遺骨が全部投げ込まれていた。これを見て弟子さんは『このままじゃいけない』と言って、いつか立派な塔を建ててやろうと考えていた」
身元がわからないすべての戦没者の遺骨を納め、慰霊したい。
地元の人たちと弟子さんらの強い思いによって、1966年に建てられたのが「南北之塔」でした。
記者
「これ北海道のですよね?」
喜行さんの甥 金城善清(きんじょう・ぜんせい)さん(75)
「これは弟子さんが持ってきたと聞いている」
真栄平に暮らす仲吉勇(なかよし・いさむ)さんとその甥の金城善清(きんじょう・ぜんせい)さん。
勇さんは、弟子さんと交流を深めた仲吉喜行さんの弟です。
アイヌ民族の印象を語ります。
喜行さんの弟 仲吉勇(なかよし・いさむ)さん(78)
「沖縄県民と全然変わらないと思う。見ても分からない。全く同じ顔をしている」
喜行さんの甥 金城善清(きんじょう・ぜんせい)さん(75)
「(弟子さんは)ちょっと寡黙な感じ。あまり会話をしたことがなかったけど、歩いて『南北之塔』や壕に一緒に行った」
ともに独自の文化を築いてきた沖縄とアイヌ。
2人は、アイヌへの偏見はないと断言します。
両者を強い絆で結ぶ象徴でもあった「南北之塔」ですが、
ある書籍がきっかけで、亀裂が生じた時期がありました。
遠く離れた沖縄の真栄平とアイヌ民族を結ぶ「南北之塔」。
しかし、1981年にある書籍が「南北之塔」は
弟子さんが中心に建てたと記し、塔は「アイヌ民族の墓」だという誤った知識が広がったといいます。
沖縄国際大学(歴史学) 藤波潔 教授
「放置されている亡くなった人の遺骨を あまりにもかわいそうという気持ちから、誰かを確認するすべがないままに1つの場所に集めて埋葬するという動きだった。「南北之塔」は北海道出身兵士、ましてやアイヌ兵だけの慰霊碑では無い」
大城藤六(おおしろ・とうろく)さん(94)
「やけど…破片が飛んできて」
自身も14歳で沖縄戦を経験し、
その後、県の職員として地元史をまとめていた大城藤六(おおしろ・とうろく)さんは
すぐに関係機関に記事の訂正を求めました。
大城藤六(おおしろ・とうろく)さん(94)
「『南北之塔が泣いている』と、どこかに書いた。もう「南北之塔」は沖縄のものとは思われていないよ…と」
当時を知らない世代も増え、行き違いは解消されていったという大城さん。
塔を、全ての遺族のための慰霊碑にしたいと話します。
大城藤六(おおしろ・とうろく)さん(94)
「本当に北海道の人にも喜んでもらえるような塔にしたい」
アイヌ民族にルーツを持つ親子が沖縄にいます。
釧路市出身のアイヌで、20代の頃から沖縄に暮らす玉城美優亀(たましろ・みゆき)さんと、
その長男で、那覇出身の寿明(ひろあき)さん。
2人は「南北之塔」を通じた双方の絆を強める活動をしています。
沖縄在住のアイヌ民族玉城美優亀(たましろ・みゆき)さん
「本当ここだけですよね、アイヌと北海道が関わっているのは沖縄では」
美優亀さんは幼少の頃からアイヌに対する差別を見聞きしてきました。
過去に学校で琉球語の使用が禁じられるなど独自の文化が奪われていった沖縄の構図が
アイヌ民族と重なります。
沖縄在住のアイヌ民族玉城美優亀(たましろ・みゆき)さん
「差別や偏見をどうやったら取り除けるのか、平和になるためにはどうしたらいいのかって、本当に考えさせられる…ここ(南北之塔)が原点なのかな」
那覇在住 玉城寿明(ひろあき)さん
「沖縄の人たちも基地に対していろいろ思っている人がいるとは思う。でももう基地があって生まれてきた世代が増えている。それが当たり前になっているのでバージョン2.0じゃないけど、新しいこの世代でやっていくことが大事」
沖縄戦の記憶と、未来への平和の祈りが、
今、距離と世代を超えて引き継がれようとしています。