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【岩手・山林火災】HBC記者が見た被災地の現実 継続的支援と地域連携の必要性 専門家は警鐘…地球温暖化で高まる山林火災のリスク

2025年03月10日(月) 20時35分 更新

 東日本大震災から14年。防災や減災について考える企画をお送りします。
 岩手県大船渡市の山林火災はようやく鎮圧しましたが、10日も栃木県足利市と、奈良県川上村で火の手が上がりました。専門家らは「北海道内も今後、注意が必要だ」と指摘しています。

山の斜面一面に広がる火の手…岩手県大船渡市の山林火災は9日、発生から12日目にして、ようやく「鎮圧」が宣言されました。

焼失面積は2900ヘクタール。札幌市東区の約半分に相当する広さです。



住宅などの建物被害は、9日までに210棟にのぼりました。

自宅が全焼した 東川タケ子さん(72)
「全部燃えてしまったから、写真とかも…。悔しいです。眠れないです。後(あと)を向いてもだめだから、前を向いていくしかないです」


火の手を食い止めるため、北海道内からも応援にかけつけた部隊が。

堀内大輝キャスター
「こんにちは、よろしくお願いします」

4日までの3日間、ヘリコプターで消火活動を続けた北海道の防災航空隊、隊長の下田大輔さんです。



北海道防災航空隊 下田大輔隊長
「機内にはパイロットが2人乗って、ここに整備担当が乗って、私がここで指示とか行う状況。半身を乗り出して活動…」

こちらは下田さんたちの部隊が撮影した火災の現場です。

煙に近づくと、山の斜面に赤い炎が、線のように広がっているのがわかります。

撮影された映像の音声
「行きますか?」
「3、2、1、オープン!散水中」

北海道防災航空隊 下田大輔隊長
「別な場所で煙が上がったりするので、優先順位をつけながら、民家に近いところから消火にあたった」



低空でホバリングしながら、バケットに注水しては、現場へ。フライトは62回、放水は合わせて3万6800リットルに達しました。



北海道防災航空隊 下田大輔隊長
「”風”が地形によって変わる。機体の進入する方向も都度、変わってくる。全員が神経を使いながら(活動していた)。早期の対応は今回の火災を踏まえて非常に重要」

大船渡市の火災をのぞくと、平成以降で最も大きい林野火災は、1992年に北海道・釧路湿原で起きていました。

上空からの記者リポート(1992年)
「現場付近では少し風向きが変わってきました。燃え広がっている先には、ビニールハウス、そして市街地が広がっています。火を遮るものは何もなく、市街地の方に燃え広がるのが懸念されます」

たばこの不始末から、火は国立公園のエリアも含め、約1030ヘクタールに広がりました。



帯広市出身で気象学が専門の三重大学 立花義裕(たちばな・よしひろ)教授は、北海道も雪が解けた後、火の扱いに注意が必要だと警告しています。

三重大学(気象学) 立花義裕教授
「これは対岸の火事じゃ全くないと思う」

立花教授は、大船渡の山林火災について、「乾燥」と「強風」によって、急速に燃え広がったと指摘。

地球温暖化の影響によって、山林火災のリスクが高まっているとみています。



三重大学(気象学) 立花義裕教授
「今年の三陸沖の海面水温が異常に高い。観測史上1番くらい高い。太平洋の東の海抜気温が高い。日本海から来る寒波は強い。そうすると寒気と暖水の(温度)差が、コントラストが大きいので、より強く風が吹きやすくなると。山を背にした強風が吹くような場所は強風が吹きやすいので、より注意したほうがよい」

■HBC北海道放送・成田颯記者が見た被災地の現実



堀啓知キャスター:ここからは、JNN取材団として、大船渡市を取材した成田颯記者とお伝えしていきます。被災地の様子はどうでしたか?

成田颯記者:私は発生1週間から10日目まで、主に避難されていた方々を中心に取材しました。VTRにもありましたが、50年以上過ごした自宅が全焼した女性は「悔しくて毎日寝ることができない。避難指示が解除されても、これからどうすればよいのかわからない」と話していました。火が消えたから終わりではなく、被災された方々への継続的な支援が重要だと感じました。

堀内大輝キャスター:防災航空隊の方に聞いても、東北は、春先だとはいえ「やはり風が冷たくて寒かった」と話していました。避難者している方への支援はどうだったのでしょうか?

成田記者:写真は避難所の様子です。プライバシーが確保されたテントがすぐに用意され、世帯ごとに過ごすことができます。
また、都市部からの物流に大きな影響がなかったため、避難所にも早い段階でたくさんの支援物資が届いていていて、必要なものを自由に持っていくことができました。

一方、避難者のケアは重要な課題で、避難生活が1週間にもなると、高齢者が避難所で運動不足になりがちだったり、自宅の目の前まで火の手が迫っていて避難された方は自分の家が無事なのかという不安を抱えたまま、具体的な情報が届かず、不安な様子もありました。


■東日本大震災の経験からつながる支援

堀キャスター:今回の火災で気になった点はありますか。

コメンテーター 鶴岡慎也さん:被災された方は、火災が自分の家まで、どのくらいの距離まで迫っているとかそういう情報は、入って来ていたのでしょうか?

成田記者:実際に避難所には、モニターがあったり、常にヘリコプターからの映像を見ることができたりしたものの、具体的な細かい情報までは届かなかったので、テントにずっと過ごしていた方や、車の中で過ごしていた方などは、情報に差があって不安な様子ででした。

堀キャスター:被災地で、そのほかの取り組みはありましたか?

成田記者:東日本大震災での経験をもとにした支援が広がっていました。地元の学生ボランティア団体がいたのですが、彼らは震災で幼少期の頃にボランティア支援を受けた側だったんです。なので「今度は自分たちの番だ」という意気込みで、食事の配膳、ラジオ体操を企画、託児所で子どもの遊び相手などをしていました。

また、仙台から来た70代の夫婦は、地元の郷土料理90人分を炊き出しで行うなど、行政が賄いきれない部分の支援を市民の手で補っていて、地域の防災力や、日ごろから意識を高めておくことが大事だと感じました。

堀キャスター:鈴井さん、今回の火災で、感じたことはありますか?

コメンテーター 鈴井貴之さん:「北海道も対岸の火事ではない」とありましたが、森の中でのチェーンソーなどの機械を使ったときには、火花が出て引火していないか、火が起こっていないかなど確認することが大切だと思いました。

堀キャスター:東日本大震災から11日で14年。あらためて家庭内での防災、減災を見直す機会にしたいです。

北海道ニュース24