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戦後79年、初めて現れた船の全体像『三船殉難事件』留萌沖で樺太からの引き揚げ船が旧ソ連軍の攻撃受け1700人が犠牲…最新技術で沈没船調査開始

2024年08月20日(火) 17時03分 更新

終戦直後、北海道の留萌沖で樺太からの引き揚げ船が旧ソ連軍の攻撃を受け多くの犠牲者が出た「三船殉難事件」から22日で79年です。

沈没した船はどうなっているのか、最新技術を使った海底調査が始まりました。

20日朝の留萌港です。

準備を進める調査チームのトップ、浦環さんはその意義をこう語ります。



ラ・プロンジェ深海工学会 浦環代表理事(東大名誉教授)
「遺族の方々が毎年慰霊祭をしているが、知られなくなってきている。海に沈んだものを必ず見つけ出し、どうなっているかを皆さんに知ってもらいたい」

「知られなくなった」というのが「三船殉難事件」です。



終戦直後の1945年8月22日、樺太から小樽市に向かっていた3隻の引き揚げ船が旧ソ連軍の潜水艦の攻撃を受け小笠原丸と泰東丸の2隻が沈没。



攻撃を受けながらも港にたどり着いたもう1隻を含め犠牲者はおよそ1700人…その多くは女性や子どもでした。

これまでも多くの沈没船を発見、特定してきた浦さんたち。



今回は沈没した2隻を捜し調査船の船底に取り付けたマルチビームソナーと呼ばれる特殊な機械で複数の音波を発射、海底の地
形や船の状態を立体的に捉えるのが目的です。

留萌港を出てから2時間後。



ラ・プロンジェ深海工学会 浦環代表理事(東大名誉教授)
「なんか見えた!これだ!これだね!」



およそ60メートルの海中で浮かび上がったのは、泰東丸の船影です。

ラ・プロンジェ深海工学会 浦環代表理事(東大名誉教授)
「砂に埋まっているんだと思う。(船体が)折れているかもしれないし、どちらが船首か分からない」

午後には、海底に横たわる小笠原丸の姿もはっきりと捉えました。



ラ・プロンジェ深海工学会 浦環代表理事(東大名誉教授)
「上に出ているのが見える。海底ケーブルを敷設するための設備。(船体の)長さは88メートル」

79年たって初めて現れた2隻の全体像。



調査チームは22日、留萌で行われる慰霊祭で遺族らに調査結果を報告し、今後、遺骨収集などにつなげたいとしています。