北海道の『心臓』と呼ばれた小樽が『日本遺産』に…銀行・鉄道など26文化財に刻まれた“民のストーリー”つなげ地域経済へ「認定はゴールでなくスタート」
2025年02月10日(月) 18時49分 更新
取り組みが実った日本遺産認定。しかし勝負はこれからです。
・小樽市観光振興室 津田明宏日本遺産担当主幹
「日本遺産認定は市民の悲願だった」
北海道小樽市の「日本遺産」。今月4日、文化庁に認定されました。
・堀内大輝アナウンサー
「色内1丁目です。明治末期から昭和中期にかけて半径500mの範囲で10軒の銀行建築が立ち並ぶ姿。これは小樽でこその景色といえますよね」
「旧手宮線で活躍した蒸気機関車「しづか号」かっこいいですよね。こちら総合博物館の中で大事に保管されています」
小樽市を代表する26の文化財で構成されています。しかし…
・横浜からの観光客
「(日本遺産は?)知らない。世界遺産は知っている」
・小樽市民
「日本遺産は聞いたことがない」
今回は観光都市・小樽の日本遺産、認定までの道筋と、これからの展望を「もうひとホリ」します。
「日本遺産」とは、2015年度に文化庁が始めた事業です。
特徴は、「ストーリー」を認定する、ということ。地域ならではの歴史や、文化財を織り込んだ「ストーリー」を評価・認定し、観光の活性化などを目指します。
北海道内6件目の認定となった、小樽市の「ストーリー」は、「北海道の『心臓』と呼ばれたまち小樽~『民の力』で創られ蘇った北の商都~」です。
・小樽市観光振興室 津田明宏日本遺産担当主幹
「明治・大正期以降、北海道の物流拠点として小樽が発展。その後、高度経済成長期に一度は衰退の道をたどるが、そこから市民の力「民の力」により、マチを盛り上げていったストーリーが評価。そのなかでも重要なポイントが小樽運河」
明治末、たくさんの北前船が行き来し、活気にあふれていた小樽市。しかし、マチは高度経済成長の波に乗り遅れ、徐々に衰退していきました。
昭和40年代には、荒廃した運河を埋め立てて道路にする計画が持ち上がりました。そのとき、運河を守ろうと立ち上がったのが、市民たちでした。
埋め立てか、保存か。十数年に及ぶ論争の末、小樽運河は半分を道路に、さらに散策路を整備した、いまの姿に生まれ変わりました。
これが、「民の力」で歴史や文化を守り、観光都市として再生させる小樽のまちづくりの先駆けとなったのです。
・小樽市日本遺産地域プロデューサー 池田憲昭さん
「小樽が好きだから。もっと魅力を発信して、いろいろな人に知ってほしかった」
池田憲昭さんは日本遺産認定に向けたPRを行う「小樽市日本遺産地域プロデューサー」として、2年ほど前から活動をしてきました。
小樽市の「日本遺産」の見どころは?
・小樽市日本遺産地域プロデューサー 池田憲昭さん
「北運河と呼ばれる昔ながらの運河の風景が残っている場所があるが、そこに人がなかなか行かない」
観光客でにぎわうあたりから、数百メートル北の「北運河」は、道路として埋め立てられることがなく昔の面影を残したまま。穴場の観光スポットです。
・小樽市日本遺産地域プロデューサー 池田憲昭さん
「北海道中のグルメを(北運河に)集めて、人を集めてワクワクする小樽にしたい」
年間700万人もの観光客が訪れる小樽市。日本遺産認定の先に目指すのは…
・小樽市観光振興室 津田明宏日本遺産担当主幹
「日本遺産認定はゴールではなく、スタートと考えている。小樽市の観光の課題として、滞在型観光へ今後は向けていく。宿泊していただき、地域の経済効果につなげていくのが重要」
日本遺産は現在国内で104件、北海道内で6件認定されています。
【北海道の日本遺産】
・江差町の「ニシンの繁栄が息づく町」
・函館などの「北前船寄港地・船主集落」
・「カムイとともに生きる上川アイヌ」
・北の産業革命「炭鉄港」
・標津町などの「鮭の聖地」
・今回認定の小樽
日本遺産の特徴について、マーケティング論が専門の、小樽商科大学、猪口純路教授によりますと…
【日本遺産の特徴】
・文化遺産そのものでなく「つなぐストーリー」
・文化遺産の保存より「活用」
日本遺産は認定されて終わり、ではありません。文化庁は今年度から日本遺産に「点数制度」を設けました。
その結果、福岡県と佐賀県の文化財で構成される「古代日本の「西の都」~東アジアとの交流拠点~」が点数を取れず、「認定取り下げ」となりました。
太宰府天満宮以外への波及効果や地域住民の認知度の低さなどが指摘されたということです。その代わりに小樽市が新たに認定されたということです。