戦後秘史 アイヌとGHQ
2020年9月18日放送
シリーズでお伝えしている「戦後75年」。
終戦後、道内にやってきた進駐軍=GHQ。しばらくの間、人々はその進駐軍と向き合う日々が続いていました。それは明治政府樹立以降、奪われた「権利の回復」を目指すアイヌの人々も同じでした。最近公開された資料から、当時の彼らの思いに迫ります。
今年7月、胆振の白老町にオープンした民族共生象徴空間「ウポポイ」。アイヌの民具が並ぶ展示室の片隅に、その資料はあります。今から74年前の1946年、進駐軍=GHQの幹部にあてた手紙です。設立間もない「北海道アイヌ協会」のトップの名で書かれています。
「民族差別や経済の困窮などの生活の状態を打破するために一縷の望みを託した」(国立アイヌ民族博物館・田村将人展示企画室長)
そして何度も行われた進駐軍とアイヌとの会談。その中で語られたのは…。
「独立する意思があるのかないのかと聞かれた」
同じころ、道北に暮らす別のアイヌが神棚に貼った写真が残っています。そこにはかつての「敵国」の司令官の写真が貼られていました。
道北の名寄市。この街に戦前から戦後にかけ地域でアイヌ語の伝承活動に励む一人の男性が住んでいました。北風磯吉(きたかぜいそきち)。日ロ戦争では伝令として活躍、「アイヌの勇者」としてたたえられ明治政府から勲章を授かりました。
北風は「奇妙なもの」を作りあげていました。それがここに残されています。
博物館のバックヤードに置かれていたのは古びた神棚。
「GHQ元帥のマッカーサーの新聞の切り抜き写真が貼られている」(名寄北国博物館・吉田清人館長)
祭られていたのはGHQの最高司令官・マッカーサーです。なぜ北風がマッカーサーの写真を貼っていたのでしょうか?そのヒントが、今年オープンした国立アイヌ民族博物館にあります。
日本が戦争に敗れた翌年の1946年。設立間もない「北海道アイヌ協会」がGHQの道内を統括する幹部にあてて書いた手紙です。2年前に発見され、今年初めて公開されました。
「当時アイヌが抱えていた問題を、GHQで当時北海道に駐留していたスイング少将にサポートを頼むという内容」(国立アイヌ民族博物館・田村将人展示企画室長)
明治政府の樹立以降、様々な権利を奪われていたアイヌ。戦後も新たな問題を抱えていました。
「大きかったのは土地の問題。1899年に施行された旧土人保護法で『給与地(きゅうよち)』という土地があった。戦後の農地(のうち)改革(かいかく)の対象になり取り上げられては大変だということで、アイヌ民族のリーダーが奔走した」(田村展示企画室長)
当時アイヌの間には、GHQを日本の民主化と自分たちの権利回復をしてくれる「救世主」のようにあがめる、そんな空気感があったといいます。
「当時の記録を見ると、アイヌ民族への差別は今よりもっと苛烈であった…民族差別を打破するためにも、新しい支配者になったことにかける期待はすごく大きかった」(田村展示企画室長)
そんなアイヌにGHQも働きかけを始めます。1946年、札幌で開かれたGHQとアイヌ協会の会談。このときのやり取りを記したメモが残されています。GHQ側はスウィング少将と通訳が一人、アイヌ協会からは当時の常務理事だった小川佐助(おがわさすけ)らが出席したとメモにはあります。会談が始まって間もなく、少将からこんな発言が飛び出しました。
「独立する意思があるのかないのか聞かれた」
アイヌに独立を促すかのような発言…。しかしGHQが本気でアイヌに独立をさせる気はなかったと専門家は分析します。
「日本を統治するうえで、なるべく混乱が起きないような方策をとるのが当然。アイヌの意思を問うてはっきりさせたかったのではないか。要は念押しで(独立を)しないんだろうということを明言化させたかったんだろうと…」(戦後のアイヌ民族活動史に詳しい竹内渉さん)
GHQが恐れていたのは和人とアイヌが争い混乱が起きることだったとみています。
「混乱の可能性があるものは早めに芽を摘み取るのが彼ら(GHQ)の仕事」(竹内渉さん)
幹部4人も話には乗らず「アイヌ独立」は幻に終わります。アイヌに独立を掲げた蜂起の意思はなしと見たGHQ。その後、アイヌへの関心が高まることはなく、権利回復の願いにも応じませんでした。
「農地改革でも結局全然フォローしなかったことを考えるとそれほどアイヌ民族を手厚く保護しようという政策はなかった」(国立アイヌ民族博物館 田村将人・展示企画室長)
郷土史研究家として50年近く名寄に通い調査をしている佐藤幸夫さん。神棚にマッカーサーの写真を貼った北風磯吉もGHQに穏やかな社会への変革を期待していた一人だったと推察します。
「戦争に負けたと…そして進駐軍が入ってきた。支配する側・される側に分けると、ただ「上」が変わっただけ。(記者:支配者が変わった?)だけ…自分たちはいつも底辺にある」(佐藤幸夫さん)
戦後75年…。若い世代が先人の思いをどう学び、どう引き継いでいくのでしょうか?