ガダルカナル島 103歳元兵士の思い
2020年8月25日放送
戦後75年。
戦争の記憶が遠ざかる中、悪夢のような戦場を生き残った元兵士が 私たちに伝えるメッセージです。
旭川の北海道護国神社で開かれた慰霊祭。
今年は新型コロナウイルスの感染防止のため、遺族などへ参列を控えるよう求め、神社の関係者だけでの開催となりました。
しかし参列者の中に、旧陸軍の元兵士、鈴木貞雄さんがいました。
鈴木さんにも神社からの案内が来ていましたが、あえて参列していました。
「おかげで元気でいるけれども、みな悔しいけれども成仏してくださいよと」(鈴木貞雄さん)
鈴木貞雄さんの青春は、過酷な戦地にありました。旧満州で、陸軍に入隊した鈴木さんは、日ソ両軍で4万人以上が死んだノモンハン事件を生き延び、旭川に戻ったのも束の間の1942年、三度目の召集で陸軍第七師団の一木清直(いちき・きよなお)大佐率いる一木支隊に配属されます。向かったのは、南太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島でした。
「秘密だからね。船の中で初めてどこへ行くって言われた」(鈴木貞雄さん)
ガダルカナルではアメリカ軍に奪われた飛行場を奪還する作戦でした。しかし、最初に上陸した第一梯団の900人は、1万のアメリカ軍による集中砲火でほぼ全滅。第2梯団だった鈴木さんにも砲弾の嵐が襲いました。
「鉄砲構えて立って立ったって座ったって砂利道だからね。隠れるところがないでしょ。ボンボンボンボンやられた。これは大変だと逃げたんだ。まだ戦えるから逃げろって」(鈴木貞雄さん)
戦闘から生き残り、草を食べて飢えをしのいだ鈴木さんが撤退できたのは、上陸から半年後でした。
「ガダルカナルから日本へ帰れるとは思わなかった。僕ら東旭川で20人召集されて、4人しか残ってない。餓死したのが多かった…」(鈴木貞雄さん)
ガダルカナル島では、日本兵3万人あまりのうち、およそ2万2000人が命を落としました。
「(若い人に)戦争の話をしたってわからんわ!実際に弾の中くぐらなかったらわからん」(鈴木貞雄さん)
鈴木さんは年々、慰霊祭に足を運ぶ人が少なくなったことに心を痛めています。
「来る気がない人は、来ないだけだが、私はそういうわけにはいかない。生きて帰ってきた者の責任がある。亡くなった人のおかげでこうやって元気だからね。だから来るなって言われても(慰霊に)来ますよ」(鈴木貞雄さん)
生き残った者として戦友の死を忘れさせない。103歳の歩みは続きます。
(補足)
このニュースを放送・配信後、慰霊祭の参列者が少なくなったことについて視聴者の方から「慰霊祭に参列したくてもできず残念な思いをしている元兵士やご遺族の方もいらっしゃる」とご指摘をいただきました。
旭川の北海道護国神社は新型コロナウイルス感染防止のため慰霊祭への関係者の参列を今年は断っていました。
放送・配信は説明不足で誤解を招くおそれのある表現もあり、おわびいたします。