東日本大震災から10年~開拓地がつないだ再起のイチゴ
シリーズでお伝えしている東日本大震災から10年です。今回は、開拓地がつないだ再起のイチゴです。
有珠山のふもとにずらりと並ぶイチゴハウス。北海道伊達市のイチゴ農家、小野彰吾さん(31)は、10年前、宮城県から北海道の伊達にやってきました。
2011年に起きた東日本大震災。大津波、原発事故…。
“想定外”が重なった悲惨な光景が、今も脳裏によみがえります。小野さんが丹精込めて作ったイチゴは、津波に流されました。
2011年7月、イチゴ農家だった小野さんは、父の克志さんに見送られ比較的気候が安定している北海道の伊達を新たな生活の地として選びました。
試行錯誤を繰り返し、伊達でイチゴを作り続けています。伊達のイチゴ農家は、移住して来た4世帯と新規就農の3世帯。10年がたち、小野さんも指導する立場となりました。
新規就農者の藤田明彦さん「30代後半になってきて自分が好きなことをやりたいと思って」
新たな仲間に、小野さんは精いっぱいのアドバイスを送ります。地元には、小野さんとつながりのあるレストランもできました。2018年の胆振東部地震の際、物流が止まり、イチゴを出荷で きなくなった小野さんは、入荷が止まり、イチゴを探していた太田聖子さんと出会いました。
北海道洞爺湖町にある、きつつきカナディアンクラブ 太田聖子さん「『イチゴ農家さんですか!』って。そこで『ぜひ使わせてください』って」
当時の縁がきっかけで、太田さんは、今も小野さんのイチゴをジャムなどに活用しています。
イチゴから広がる人と人の絆。小野さんは伊達に移住した後、結婚し、3人の子どもに恵まれました。
妻・美枝子さん「主人も一生懸命頑張って10年頑張って来たんだなと思いがある。それを近くで見られて楽しいです」
小野さん「イチゴの苗どこにある?」
小野さんの子どもたち「さがそー!あった」
気温の低い日が続いた今年。例年より2週間ほど遅れて、苗が届きました。
小野さん「イチゴの生産数を増やして今は地元の方とかケーキ屋さんレストランとかにも卸しているのでそういう方々にもイチゴを供給していけたらと考えている。」
震災で人生が一変してしまった小野さん。これからも伊達でイチゴを作り続けるつもりです。
小野さん「ま、自分は幸せな状況なのかな ははは」
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